闇鍋高校

曲線と曲線の接するブログ Twittter:@Yaminabe1777

自分にとって一番の人の一番になりたい気持ち

蜜乃です。

 

この前修学旅行で日野と飛行機やバスで隣だった時に

 

日野<蜜乃のブログの傾向は、実際にあった事をまとめる感じだよね

 

的な事を言われました。

 

 

 

たしかに。

 

という事で、抽象的な事に対しての記事に挑戦しようかなと思い、今日は ある心に残った歌詞 について書きたいと思います。

 

心に残った歌詞のはなし

私は小さい時からあまり自分の個性がなくてとりあえず流行ってるものとか、あとはうちの兄弟みんなディズニープリンセスの歌が好きなのでそれを毎日毎日歌っていました。

 

歌い手に出会ってからは好きな人が歌っているのとよく目にするものだけ。

 

歌い手になって結構経ってからは、時間がなくてあまり聞けずほとんどリクエストされたものだけを聞くようになりました。

 

それなりにレパートリーはあるのですが、実はわたしあまり歌詞の意味を考えて歌っていないので正直あまり印象に残る歌詞がありません。

 

というのも、私感情が歌にこもってないと言われて歌詞を考えながら歌うと、バラードとか泣きそうになってきて声が震えて逆に歌えなくなるんです。自分でも意味わからなすぎて歌い手やめちまえと思う時がある

 

でも唯一帝国少女

 

あんなにあんなに縛られたのはあなたに愛して欲しかっただけ

 

という歌詞だけはなぜかすごい印象的で、耳にすっと入ってきて、歌う時もすごく感情がこもってしまいます。

 

なんかでも文章に起こして改めて考えてみると「この歌詞が好き」って

 

きもいですね …😇

 

病んでるとか、こういう経験があるとか、そういうんじゃないんですよ多分

 

でもなんかこの歌詞を初めて文字で見た時になんだかズンッってくるものがあって

 

こんな事を思える人が羨ましいのか、はたまた自覚してないだけで病んでるのかも知れません。

 

でも、共感もあるのかもしれませんね。

 

そういえば私すごい好きな女友達とか結構依存して、おまけに自分を持っていないので全部相手優先で合わせてしまうんです。

 

依存している相手にこんなに尽くしてるのになんだかずっと不安感があるのは、相手の一番は常に私だけじゃないというのを中2くらいからずっと感じていたからかもしれません。

 

この歌詞を見て自覚しました。

 

余談

なんか自分で無意識のうちに感じている事を誰かが言葉にしてるのを知った瞬間になんだか感動的というか感傷的というか、スッキリして、でも自覚した物事に対する「私はこうだったのか」という悲しさや虚しさを感じることってありませんか?伝われ

 

こういう事って割と人生の中で少ない経験ですけど、なんだか不思議な気持ちになりますよね。

 

この不思議な感覚を私の語彙力じゃ言葉にできないので、どこに吐き出せばいいのか分からない時もあります。

 

なんの話か分からなくなってきました😇

 

私がなぜ事実をありのままに書くのが多いのかここに来て分かったのですが、私は自分の感情が人より一気にたくさん浮かんできて、多分整理に時間がかかってまとまりのない話になってしまうからなのかなと思います。

 

どこから話そうとか考えられない程、同時に色んなことが思考の中で目まぐるしく思い浮かんでくるのでそれを順番に言っていくとこんなひどい文になってしまいます。

 

本当にまとまりがないです。

 

この記事のタイトルまだ決まってないんですけど、付けるなら、なんですかね。

 

大好きな人の一番になりたいこの欲求の名前は?

結局あの歌詞が印象に残るのは、どんなに自分を殺して尽くしても、一番自分に気持ちが向いてほしい人から向いてもらえない切なさとも虚しさともまた違う何かが私の中に常にあるからなのかなと思います。

 

これは自己顕示欲なのでしょうか?

 

でも、自分を見てほしい気持ちは、私のことを見てくれるだけの人だけじゃ満たされません。

 

足りないんです。

 

私が一番になりたい人からもないとだめなんです。

 

むしろそれがあれば他はなにもいらないのかもしれません。

 

これは言葉だとなんていう欲求なんですかね。

 

 

 

 

 

 

「安全基地」という心理学者が提唱した言葉がありました。

 

赤ちゃんの時に母親と自分という二人の世界の形成段階の話です。今は成人に対しても使うことがあるみたいですが…

 

余談2

寝んトレという赤ちゃんの夜泣きをあえて放置する事によって赤ちゃんの夜泣きの期間を早く終わらすことができるというものがあります。

 

賛否両論ありますが、あれに私は反対です。子供を育てたこともねえガキが、と思うママの皆さんすみません

 

母乳をあげたり、泣いてたらいつでも構ってくれたり、笑ったら笑い返してくれたり、そう言う事を赤ちゃんの時期だけでもやってあげる事で、愛着形成の土台がとても安定するんじゃないかと思うからです。

 

赤ちゃんが放置されて夜泣きが止まるのは、「構って」と示しても来てくれないから「諦めた」という事なんじゃないかと思います。

 

赤ちゃんの時から、自分の世界には母親と私という2人しかいないのにその相手に見捨てられた感覚を味わうってとても悲しくないですか?

 

もちろん母親が毎日の夜泣きで限界が来て、育児放棄とかになったら本末転倒ですが、私の母は寝んトレはしてなくって兄弟3人夜泣きには全て対応していたみたいなので、出来る人には出来るんじゃないかと思います。

 

うちの母は泣いてるのを放置する我慢ができずに、2〜3時間抱っこしたりとにかく泣きやませようと頑張りたくなっちゃうみたいです。

 

どうしても泣きやまないときは、車の揺れがリラックス効果があるらしくドライブにいったりしてたんだとか。

 

 

安全基地のはなし

信頼関係の構築や愛着形成を完了してから第三者のいる世界へのステップに進むことができる、そして第三者との関係が上手くいかなくても二人の世界は絶対に崩れないという保証があるからこそ安心して帰ってくることができる。

 

三者との関係が上手くいかなくても救いの手を差し伸べて無償の愛をくれる場所がある。

 

そういった安全基地というのはいわゆる「心の拠り所」の事と私は一応認識しています。

 

私はそれがきっと定まってないのかもしれません。小学校中学年くらいまでは人生ハッピーハッピーだったのにな

 

夜泣きで思う存分構ってもらえても、小中の環境でなにかが欠けてしまったとかもあるんですかね。

 

自分の安全基地が本当に安全基地なのかどうか自信が持てないからこそ、第三者に安全基地になってもらうことを求めて、それが成功出来ずいつまでもふわふわと自分の帰る場所を探しているのかもしれません。

 

たくさんの事について書いてしまって、すごく長くなってしまいました。

 

この記事は誰かが読んで得をするのでしょうか。

 

誰か私のこの思考に共感する人はいるのでしょうか。

 

もしいたら、余談で話した「無意識の中にあった自分の思考を言葉にした人」になれてるのでしょうか。

 

そうだと少し嬉しいですね。

 

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